塩竈神社
塩竈神社
岡山市小串字明神山1954番地

祭 神 猿田彦命・塩土老翁神
創 建 1603年(慶長8年)
由 緒
 小串の塩田開発とともに、胸上村吉浦から遷した説もあるが、1667年(寛文7年)勧代祠官筒井治部の記録中に、「備前国児島郡小串邑。塩竃明神 猿田彦命廷宝四丙辰(1676年)(9月社入)石原治部」と記したものがあり、塩田開発(1707年)に先だって塩竃明神を勧請したのが事実である。

 石原治部は、後に筒升治部と改称、高島宮の初代両官も兼ね代々神職の家柄となる。(筒升家古文書による)塩竃神社は、1629年(寛永6年)高明院の社僧が吉浦から勧請し社殿を造営したと伝えられる。社領二石六斗六升、銀二十匁。筒井家の記録によれば、1780年(安永9年)に竃屋が17軒あったことを記し、備陽記によれば、享保年間(1716〜1743)には四町三反八畝四歩の塩田があったという。この神社は、塩田関係者の氏神で、拝殿入口には明治16年9月現在として、塩竃神社当屋連中40人と世話人三人の連名札が懸けてあり、拝殿は江戸時代から、製塩関係者の当屋祭に使われていたことが知られる。

 本殿は、1664年(寛文四年)造営。その後改修され現在の建物は、天明〜文化・文政(1782〜1829)の頃にかけてのものと思われる。(岡山市の近世寺社建築より)。

 渡殿、幣拝殿は、1902年(明治35年)の改修。屋根の前面を飾った千鳥破風、唐破風の重なりは豪壮華麗と評してよい。

祭 3月17日、9月8・9日両官筒井右内の記録。現在は春5月上旬 夏7月上旬

( 「ふるさと小串」小串を考える会著 より )

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