小串学区の様子
岡山県の南部、岡山平野の南に、瀬戸内海に突き出るように東西に児島半島が延びている。 小串はこの半島の北東端に位置し、児島湾の入り口の南岸にあたる。もと小口ともいっていたが、小串の音に変わった。 明治31年大門(おおと)村を改称して小串村となり、昭和29年4月に岡山市に編入された。 総面積7,486m2、平成17年5月末現在の戸数は685戸、人口は1,809人となっている。 人口の推移は <表1> に示すように過疎化の一途にある。 |
表1 : 小串の人口推移
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小串港 |
半島中央部には古生代砂岩からなる金甲山、山頂付近に貝殻が露出していたという貝殻山、花崗岩の多い八丈岩山、小学校校歌にも登場する三頂山などが連なっている。この地区の大半は山地であるが、わずかに西原 ・ 向小山甲 ・ 米崎西部に平地が見うけられる。これらは近世になって干拓されたもので、海岸には防潮堤が長く続き、現在は整然とした水田が開けている。川は少なく、瀬戸内特有の雨の少ない地方のため、溜池がたくさん造られている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
農業は水田での米作りが主となっているが、たまねぎ ・ じゃがいも ・ さつまいも ・ キャベツ ・ レタス ・ トマトなどの野菜栽培も盛んで、岡山市の近郊農村としての役目を果たしている。また、冬の温度な気候を生かし、米崎地区を中心に花の栽培も多い。 |
表2: 2005年7月末現在の人口
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西原海岸から臨む児島湾大橋 |
漁業もさかんであったが、昭和25年児島湾締切堤防工事の始まりとともに、のり養殖へと転換し、戸数は少ないが年間相当量の生産高がある。 しかしながら、この小串地区も締切堤防や児島湾大橋ができたことにより、岡山中心部へ時間的、距離的に非常に近くなり、生活・文化が著しく向上した。 今後は岡山市郊外の憩いの場として、桃太郎荘・小名郷池・三頂山を中心とした豊かな自然と瀬戸内のすばらしい多島美が心をなごませてくれる。 |
( 「ふるさと小串」小串を考える会著 より )
主なできごと
年 | で き ご と | |
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昭和 29年 昭和 32年 昭和 33年 昭和 34年 昭和 35年 昭和 36年 昭和 38年 昭和 42年 昭和 43年 昭和 45年 昭和 48年 昭和 49年 昭和 50年 昭和 51年 昭和 52年 昭和 54年 昭和 55年 昭和 56年 昭和 57年 昭和 58年 昭和 60年 平成 3年 平成 5年 平成 6年 平成 9年 平成 10年 平成 13年 平成 14年 平成 15年 平成 16年 |
1954年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1963年 1967年 1968年 1970年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1985年 1991年 1993年 1994年 1997年 1998年 2001年 2002年 2003年 2004年 |
岡山市に編入 海苔養殖に取り組む 小串地区に簡易水道完成 うなばら会発足 阿津なかよし子ども会発足 小串愛育委員会発足 児島湾締切堤防開通 淡水湖有料道路開通 淡水湖経由岡山行バスの運行 小串簡易水道が 岡山市上水道へ接続 小串小学校プール完成 小串観光協会発足 小串小学校創立100周年、 体育館完成 児島湾締切堤防無料化 貝殻山スカイライン完成 小串子ども会発足 国民宿舎おかやま桃太郎荘開設 小串南子ども会発足 阿津芸能保存会発足 小串芸能保存会発足 小串観光協会による朝市開始 小串郵便局新築移転 旧小串村役場撤去 小串コミュニティハウス完成 市民憩いの森整備完了 小串造船所創立30周年 九蟠渡し廃止 八幡神社神輿を新調 児島湾大橋完成 市民憩いの森に桜の苗木植樹 「小串を考える会」発足 向ふれあい館完成 50万ボルト送電線通電 向小串廃水処理施設共用開始 「小串を考える会」全戸アンケート 小串スポーツ広場完成 小串ふれあいまつり 観光マップ 「ここは備前の小串村」、 小冊子 「ふるさと小串」 発行 さくらまつり お台場南斜面崩落防止工事完了 光南台七夕まつり ケーブルテレビoniビジョン開通 婦人会解散 岡山市編入50周年記念式典 oniビジョンで小串学区特集放送 台風16号の影響で浸水 |
(「汐路はるかに」小串学区連合町内会編 より)